愛情が必要なのは人間だけじゃなかった!家と住む人との関係

心暖まる住まいの想い出
Yuko Imura

日常の何気ない風景の中にも発見はたくさんある。そんな発見を唄にする詠み人。住まいや生活について考えることも多く、これまで感じてきたことを鋭く、面白い視点でブログ記事を書いている。趣味は料理。

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転勤族の我が家が、今住んでいるマンションに入居して、ちょうど一年が過ぎました。

去年は既に葉桜となっていた、ベランダから見える桜の木。

今年は開花から満開、そして一枚一枚花びらを散らしていくまでの全てを見届けることができました。

ベランダに干していた洗濯物からこぼれ落ちた薄桃色の花びらが、家の中で舞う春の日を過ごしながら、わたしはあることを感じていました。

それは、ひとことで言い表すと「馴染んだな」という感覚です。

いったい、わたしが何に対してこの感覚を抱いたのかを、書いてみたいと思います。

 

驚くべき子どもの順応力

「馴染む」ということばを辞書で引くと、次のような解説がなされています。

馴染むとは

  •  環境などになれて違和感をもたなくなる。なれて親しむ。
  •  調和する。ひとつにとけあう。
    (出典:三省堂 大辞林)

「環境などになれて違和感をもたなくなる。」という意味での「馴染んだな」を一番感じるのは、幼稚園に通う娘を見ているときです。

岩手県から引っ越してきて、通い出した大阪の新しい幼稚園。

入園当初は先生や友達が話す関西弁の意味が分からず戸惑ったり、みんなが歌っている歌を歌えず、下を向いて涙を流したりすることもありました。

 

それが、制服を夏服へと衣替えするころには、毎日笑顔で帰ってくるようになり、一学期が終わるころには、立派に友達と関西弁で会話を交わすまでになっていました。

仲の良い友達と遊ぶ娘の姿には、もう違和感など微塵もありません。

岩手県で別れてきた幼なじみと同じように、けんかしてもまたすぐに仲良く遊ぶという日々を送っています。

 

そんな風に力強く新しい環境に馴染んでいった娘のおかげで、わたし自身もまた、今までの転勤生活とは違う日々を送ることになりました。

 

本当に転勤族?もっとずっと前から住んでいる人みたい!

娘が生まれるまでは、フルタイム勤務の仕事だったため、日中はほとんど家にいない生活でした。

当時も今と同じような賃貸マンションでの暮らしでしたが、ご近所付き合いはほんのあいさつ程度。

隣の住人とついに一度も顔を合わせることなく引越したこともありました。

 

一方、今のマンションでは、同じ幼稚園に通っている親子とは互いに家を行き来し、子どもを預け合う仲に。

娘より大きいお子さんがいるお宅からは、良かったら使ってと、幼稚園の制服や保育用品を譲ってもらうこともあります。

また、夏は地域の夏祭りに、秋は運動会に、冬は餅つき大会に参加する中、同じマンション以外の人間関係も生まれました。

 

最近友達から言われます。

「引っ越してきてからまだ1年しか経ってないんだっけ?もっとずっと前から住んでる人みたい。」

我ながら見事な馴染みっぷりです。

確かに、わたしも自分がもっと前からここに住んでいるような感覚にしばしばおそわれます。

渡り鳥のように全国を移り住む転勤生活の中でも、こんなにも早く馴染んだのは今回が初めてかもしれません。

 

夫婦ふたりだけのときには、その必要性を感じなかった「地域とのつながり」「会社以外の人間関係」といったものが、わたしの生活とわたし自身を変えたのです。

 

「賃貸生活=仮住まい」を強調するもの

この1年で「馴染んだな」と感じるものが他に、もうひとつあります。それは「家」です。

1年前の新居探しは、年度末という転勤・引越しシーズンだったこともあり、時間との戦いでした。

そのため、賃貸契約を結ぶ前の内覧をする余裕もなかったため、自分たちに合った住まいなのかどうか、不安を感じながらの新生活スタートとなりました。

 

100個近くあった引越しの段ボールを一気に片付けて、まずはひと段落です。

その次は、家の中を自分が動きやすいやすいように整えていきます。

マンションの部屋は当然ながら、我が家の家具に合わせて作られてはいません。

引越しの度に家具を全て新調するなんて、とてもできない相談なので、なんとか手持ちの家具の方を家に合わせて、はめ込んでいくしかありません。

カーテンも前の家で使っていたものをそのまま使おうとすると、下が10cm以上足りなかったり、逆に引きずってしまったりと、まるでサイズの合わない洋服を無理矢理着せられている子どものような哀れな姿です。

 

ああでもない、こうでもないと家具の位置を変えてもできてしまう、中途半端な隙間にたまっていくほこり。

チクチク縫って丈を詰めたため、下だけが不自然に分厚くなったカーテン。

このようなちょっとした家の違和感が、「仮住まい」であることを強調しているように感じられます。

それが、賃貸生活の常なのではないでしょうか。

 

それでも、仮住まいの家がしっくりと馴染んでくる

ところが、不思議なことに

「もっとずっと前から住んでいる人みたい」

と称される程、地域に馴染んでいくにつれて、この「仮住まい」であるはずの家もまた馴染んできたのです。

どういうことかというと、

「どうせ、また引っ越すんだから、完全に住みやすい家にならなくたっていいや。」

という気持ちから

「不便なところや、気に入らないところもあるけど、このままずっとこの家に住みたいな。」

という気持ちに変化したのです。

すると、以前より気合いを入れて徹底的に掃除したり、手持ちの家具を自分ができる範囲で手を加えて、使いやすくしたりと、「このくらいでいいか」から「もうちょっと良くしよう」と意識するようになりました。

 

その結果として、以前よりずっと住みやすくなり、家がしっくりとわたしの生活スタイルに馴染んできたのです。

 

気に入った洋服ほどよく着るから、自分の体に馴染んでくるのと、よく履く靴ほど足に馴染んでくるのと同じかもしれません。

家も気に入って住めば住むほど、そこに住む人の生活に馴染んで、心地よい空間へと変わっていくのではないでしょうか。

 

仮住まいだからこそ、意識して愛情を注ぐ必要がある

「家は住んでいないと劣化が早まる。」ということはよく知られています。

放置された空き家があっという間にぼろぼろになっていく様子を、目の当たりにしたことがある人も多いのではないでしょうか。

このことからも、家はただの物体ではないことが分かります。

そこに住む人の呼吸を感じて、家自身も呼吸しているのです。

人がご機嫌に暮らしている家は、決して仏頂面していないはずです。

 

今回、一から自分たちの希望を詰め込んで建てた家ではないからこそ、賃貸生活では、意識して家に愛情を注いでやる必要があるということを、わたしは教えられました。

そして、その愛情を持たせてくれるのは、家がある地域の環境であり、人であるということも教えられました。

 

「馴染む」ということばが持つ、「 調和する。ひとつにとけあう。」というもうひとつの意味。

この意味を実感できるくらい、自分が今住んでいる家と、環境と、人と共に充実した毎日を送ることができたら、こんなしあわせなことはないなあと感じます。

 

明日の朝は、学校や職場へ向かう人の足取りを感じながら、ベランダの隅に溜まった桜の花びらを片付けようと思います。

Yuko Imura

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