「住まい」って人生のステイタスの象徴なのでしょうか?
私の幼い頃の経験なんかも踏まえると、人生のステイタスかもしれないなぁと思うのです。
でもステイタスと一言で言っても多様だと思います。
高級タワーマンションを購入するという人もいれば、一戸建てを購入するという人もいますから。
私は、家を見ることが大好きですから、家を見ると人が大事にしているポイントが見えてくるような気がします。
私は幼稚園から小学1年生まで 庭付き2階建の家に住んでいました。
父、母、祖母、私、妹 そして犬2匹 絵に描いたような幸せな家庭で生活をしていました。
小学校に上がった私は、新しいランドセルを背負って登校し、学校が終わると犬と遊びに友達がうちに集まってくる、そんな日々を過ごしたものです。
明るく破天荒な性格な私は友達も多く、この毎日が続くと疑いもしませんでした。
小学1年生の冬… 事件は私の知らないところで起こりました。
両親の離婚です。
色々あった末に、父に引き取られました。
父と私と妹 3人で全く違う土地へ引っ越ししました。
住まいが変わると人の対応も変わるものなのか?
そこは、築何年か分からないくらいのアパートでした。
裏は竹やぶで、光も入らず古く暗い家でした。
もちろん、転校もしました。
当時は、新しい友達が出来る♪と ワクワクしてたと思います。
けれど、 子供たちは正直です。
今流行りの忖度なんてものは全くありません。
子どもは子どもの世界の中で必死に生きて、自分が楽しむことに精一杯なのですから。
ですから、ボロ屋に住んでいる父子家庭なんて… 受け入れてくれるはずがありませんでした。
その頃流行っていた BB弾と言うおもちゃのピストルで撃たれたり…
玄関のガラス扉を蹴り割られたり…
私自身は何一つ変わってないのに、住んでる家が変わるだけで、こんな風に周りって変わるんだなぁと感じたものです。
けれどボロボロの長屋にもいいことがあるのです。
けれど、 悪い事ばかりではありませんでした。
長屋のアパートなので近くに住む方達と距離感が近いんです。
父は仕事で家には妹と2人でいつもいたので、近所のおばさんがおかずなどをたくさん作って持って来てくれるのです。
もし、マンションに住んでいたらこんな事なかったかもしれません。
今ではマンションが増えご近所付き合いが少なくなっています。
それが少し寂しくて、古アパートもいいなぁと、 ふと思う事があります。
ということは、家はただの物ではないということです。
住まいは、人の出会いと全く同じ。
小学生時代は家によってつらい思いもしたけれど 「家」は出会い じゃないかな?って思います。
住む家を探す時って 理想の彼を想像する時の感覚に似ています。
あなたも住まいを探す時に様々なことを考えたはずです。
- 購入するのか、それとも賃貸にするのか?
- 交通の便がいいところがいいけれど、子どものことを思うと田舎の方がいい?
- 子どもが通う学校区域はどんなところだろうか?
- 庭はやっぱりあった方がいいけれど、お手入れができるかなぁ?
- キラキラピンピカのタワーマンションがいいのか、心から穏やかになれる自然な家がいいのか?
- いろいろ希望はあるけれど、予算を重視しないと。
購入ともなると、一生に一度の大恋愛になるかもしれません。
その出会いを演出する為には自分の「価値観」を洗い出す時間がとても大切だと思います。
あなたももちろんですが、一緒に住む家族とも心を合わせて行く必要があります。
理想の住まいについて語るだけでも発見がたくさんあるものです。
どんな家に住もうかなぁって想像するのは楽しいものです。
今、リフォームや新築の予定があるとか、ないとか、関係ないのです。
私なんか子どもの頃から憧れの住まいは頭の中によく描いていましたから。
そうすると、自分の考え方がはっきりと分かるのです。
例えば、
少々値段が高くても交通の便がいいところが理想だ。
というのであれば、通勤時間を少しでも短縮して他にしたいことがあるのかなぁ…。
だから、時間を何よりも大切に考えているのかなぁなんて思うのです。
住まいについて考える事で 自分が大切にしている事がよく分かります。
私なんかは 一戸建てに住んでだ時もアパートに住んでた時も人との繋がりが好きだったんだなぁと思います。
だから、私の場合は、「人との繋がりが生まれるような住まい」が素敵な住まいということになりそうです。
もちろん、素敵な住まいの条件は人によって異なります。
「いつでも一人になれてたっぷりと本が読める住まい」がいいという方もいるでしょう。
「とにかく、子どもが元気に走り回っても叱らなくてもいい住まい」が理想だという方もいるでしょう。
理想の住まいを楽しくイメージすることは、自分の心の内側を深く知る機会にもなるのです。
BB弾を打たれたら穴が空いてしまうようなボロボロの長屋にいたからこそ、発見できた住まいと人との関係なのかもしれません。