【家づくり】木材の節は隠すべきか?埋めるべきか?飽きないモノの共通点

【読み物】自然の営み
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数々の店舗、住まい、文化財の新築・修繕のプランを行う。自由度が低く、制限があればあるほど建物のプランを考えるのが楽しくなってくるという習性がある。プランを考えている時間が至福の時間。

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あるハウスメーカーの住宅の完成見学会に行ってきました。

無垢材をふんだんに使った住まいなので、私の好みでもあります。

内覧をさせてもらっていると営業の方が話し掛けて来られました。

お兄さん

いいお家でしょ。贅沢な材料もたっぷりと使っていますしね。

木の節が多い木材は、収納など目立たないところに使って、節の少ない木材を玄関に用いるような工夫もしていますから。

通常のフローリングには木の節がない(表面に化粧板が貼られている)

確かに、

  • 木の節は色が濃く、汚れているようにも見えることもある。
  • 周囲と比べて硬い。
  • 節の部分だけが抜けて穴があく。

けれど、木の節ができるだけ目立たない様に配慮する必要があるのでしょうか。

木の節があるからこそ良く、飽きない。

今ではそう思っています。

今日は、私がそう考える様になった経緯をご紹介します。

何年経っても飽きない住まいで暮らしたい・家づくりをしたいという方は参考にしてください。

汚れがなく、画一的で綺麗なものを集めてみて分かること

一切、汚れがなく綺麗なものを集めると言っても、脳裏で集めて見れば十分です。

  • 真っ白な紙・洋服・綺麗な会議室
  • 新車・コンビニの床…など

まだまだ他にもあるかもしれません。

真っ白な紙と繊維が見える和紙の比較

ここでは、一番分かりやすい「コピー用紙」を良く見てみましょう。

あなたは「真っ白なコピー用紙」を眺めていて楽しかったでしょうか。私は、残念ながら1分も眺めている事ができませんでした。

確かに、汚れや余計な模様などがありませんでしたから綺麗だと言えそうです。

けれど、単調でつまらないのです。

一方、和紙を見ていると、案外楽しいものです。

和紙には、上の写真の様な繊維が目に見える形でランダムに入っています。

この繊維を汚れの様に見えると言えばそうかもしれませんが、真っ白な紙より繊維が見えることで楽しさや神秘性の様なものを感じることができます。

コンピュータで書かれた文字と筆文字

コンピュータで書かれた文字(例えば、MS-明朝体)などは、綺麗な文字です。

誰が見ても読みやすく、一切の無駄が無い文字なのかもしれません。

一方、「書」の世界は謎だらけです。

作品よっては、

  • 文字がかすれている
  • 紙に墨が滲んでいる
  • 墨の飛沫が上がり紙が明らかに汚れてしまっている。

こういったものもあります。

文字の形やバランスを見ても、小学校の「かきかた」の授業の視点から言えば、「バランスが乱れている」と言われても仕方のない様な文字が書かれた作品が多数あります。

そんな「バランスが乱れている文字」なら自分でも書けるはずだ!と思った事がある人もいるのかもしれません。

ところがバランスが乱れ、かすれていても、優れた作品というのは、飽きがこないものです。

なにがいいのか表現仕切れないけれど、「なんかいい」のです。

綺麗で機能的な文字、コンピュータのMS-明朝体を見て、あなたは「あぁ、やっぱり明朝体っていいなぁ…」としみじみ思うでしょうか。

人が画一的ではないものに魅力を感じる理由

こちらの動画は「しんらしんげ」さんのものです。

現代では、これらの動きをCGで作成することもできますが、紙工作で動きをつけたことで温かみが感じられのはなぜか?ということを、私たちは再度考えてみる必要がある様に思います。

そもそも人は、ずっと自然の中で生きてきた

私たち人類は、何万年もの間、自然の中で生きてきました。

自然の中には、「直線すら存在しない」ために、見方によっては、非常に複雑な世界とも言えます。

そんな中で、私たちは命をつないで来たために、

大自然を目の前にした時に、あぁ気持ちがいい!

と感じるのです。

反対に、画一的で無機質なものを目の前にした時には、心から「あぁ、気持ちがいい」と感じることはできません。

「しんらしんげ」さんの動画になんとも言えない魅力が感じられるのも、画一的ではない世界観があるためではないでしょうか。

ビールや日本酒もずっと愛され続けている。

ビールやお酒を子どもの頃に少し舐めてみたという人は多いと思います。

けれど、苦く、香りも独特で決して「美味しい」とは感じなかった事だろうと思います。

それでも、

「喉越しがたまらないんだよなぁ…」

「このツマミがあると、お酒が欲しくなるよなぁ…」

という様な会話は、百年以上され続けているのではないでしょうか。

苦いけれど、美味しい…ここにも画一性がなく、複雑性を感じることができます。

北原白秋の詩「落葉松」からも複雑性を感じることができる。

北原白秋は、明治から昭和にかけて活躍された詩人、歌人です。

ところが、現代でも北原白秋という名前を知っている人は多くいます。

今もなお、中学校の教科書に詩が掲載されています。

からまつの林を過ぎて、

からまつをしみじみと見き。

からまつはさびしかりけり。

たびゆくはさびしかりけり。

(中略)

世の中よ、あはれなりけり。

常なれどうれしかりけり。

山川に山がはの音。

からまつにからまつのかぜ。

詩の全てを引用していませんが、この部分だけを見ても、「寂しいけれど清々しい」とか「悲しいけれど希望がある」などといった複雑性を感じる事ができるはずです。

こうした視点で、長く愛され続けてきたものをみると、一見、矛盾している様なものが混在している様に感じるのです。

木材の節は隠す必要がないのではないか?

良く見れば、節もたくさん見られる空気がうまい家

この様に、私たちが長く愛してきたものを見ると、意外と複雑なことに気付かされます。

上の写真を見ても、木の節がたくさんあることが分かりますが、節があるのも自然の姿であって、ありのまま、建材として、私たちは利用しています。

もちろん、人それぞれ好みがありますが、人の本質的な性質を踏まえると、こうした世界観の中で私たちは長年生きてきたために、味わいの様なものを感じることができるのです。

その一方で、現代の印刷技術は優れていますから、邪魔だと言われる節を除いた木目を綺麗に印刷をして床材として利用することも可能です。

ところが、そうして作られた空間は、ただ綺麗という印象で終わってしまいます。

誰もが「飽きの来ない住まいがいい」と願うものです。

こうした機会に、長く愛されて続けてきているものに目を向けて欲しいと思います。

私たち人間も、誰もが順風満帆に生きることができればどんなにいいだろう…なんて思うかもしれませんが、深く付き合っても常に魅力的な人はどんな人か。

きっと、余計で邪魔だと言われる「節」がある様な生き方をされてきた人に味わいがあるはずです。

少し余計な事をし、失敗したなぁ…なんて思う日には、余計な節が一つできたのかもしれない。

一人でこっそりそう思う様にしているのです。

まとめ

「木の節目を隠す」そんな話から、本当に木の節目は隠す必要があるのか?

そんな事を考え、綺麗なものや長く愛されてきたものをまとめてみました。

長く愛されてきたものに単純なものは少なく、矛盾する二つが混在している様に思います。

  • 真っ白な紙と繊維の見える和紙
  • コンピュータの書くMS-明朝体と一見、汚い字と思われる「書」
  • 北原白秋の「落葉松」という詩

他にも様々な例を挙げてみましたが、いつまでも飽きない住まい、愛し続ける住まいが理想だと思われるあなたは、長く愛されてきたものに注目してみてはいかがでしょうか。

きっと、相反するものが混在しているはずです。

こんな事を考えているとランダムに存在する木の節、木目の存在は不思議なものだと思うと同時に人間の感性にも不思議さを感じます。

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