私たち日本人は、当たり前の様にお箸を使って生活をしていますが、
です。
中国や韓国にもお箸の文化はありますが、汁物を口にする時には、レンゲを用いるので、100%お箸だけで食事をするとは言えません。
となると、疑問が湧いてきます。
- なぜ、日本人は100%お箸で食べることにこだわったのか?
- ナイフやフォークなど機能的な道具があるにも関わらず、なぜ、箸を使い続けているのか?
この2つの疑問について解説します。
また、「箸を現代でも使い続けている」という点から、現代の私たちが学ぶべきことがあり、暮らし方、生き方に大きく関わってきますので、整理して紹介します。
日本でお箸が使われる様になった経緯とは?
お箸にも進化・変化があるために、どの段階から「お箸」と呼んでいいのか難しいところですが、二本の棒でモノをつかむ道具を「お箸」と呼ぶことにして、その起源を紹介します。
弥生時代から折箸が使われはじめた
写真のような形状のお箸で、今風に言えば「トング」の様なものが、弥生時代から使われ始めました。
日本は、地震・火山大国であり、他にも様々な風水害があったために、人々は災害から身を守るために神様を祀りました。
その時、神様にお供えするものを手づかみでお供えすることは、失礼だと考え、竹でトングの様なものを作りって利用していました。
とても神聖なものなので、一般の人がこのお箸を触ることは許されませんでした。
現代風の2本の棒状のお箸は聖徳太子の推奨?
一般の人々が「お箸」を使うようになったのは、中国に遣いとして出かけていた小野妹子が日本に「お箸」を持ち帰ってきてからのことです。
それを聖徳太子が使い始め、朝廷内にお箸が広まり、やがて庶民の間にお箸が広まっていきました。
また、お箸の数え方は、1膳・2膳…と言う様に「膳」が単位としてもいいられました。
「膳」には、「胃・肺・腸」などと同じように体の意味を表す「月」が用いられていることから「お箸」は体の一部と同じくらい大切なものとして捉えられていたことが分かります。
この感覚は、私たち日本人からすると当然のことの様に感じられますが、
という文化の欧米人からすると独特の考え方になります。
お箸から見えてくる「モノ」との付き合い方
西洋には、「スプーン・フォーク・ナイフ」という素晴らしい道具がありますが、それぞれが独自の機能をもっていることが分かります。
一方、「お箸」そのものは、極端な言い方になりますが、ただの棒であり、棒そのものがすぐれた機能をもっているとは言い難い状態です。
ところが、この「ただの棒」をどの様な持ち方をして、どの様な使い方をすれば、食事の時に活かすことができるのか、使い方を追求したのです。
「お箸」は、使い方によって、つまむ・わける・(柔らかいものなら)切るなど様々なことが行える道具になるのです。
また、「着物」についても同じようなことが言えます。
- 着物は体型に左右されず、帯でサイズ調整を行うことができる。
- しまう際に、場所をとらないように畳むことができる。
洋服は、簡単に着ることができ、便利ですが、サイズの調整はしにくく、基本的にハンガーに吊るして片付けることになります。
つまり、
- 西洋は、モノそのものに機能をもたせる。
- 日本は、モノの使い方を追求して様々な機能をもたせる。
という傾向があります。
日本的な考え方は、考え方を捉えるのに時間はかかりますが、一度感覚的に捉えることができるとなんとも言えない「味わい」の様なものが感じられるのが特徴的です。
では、この日本的な考え方を住まいづくりに活かすにはどう考えるといいのでしょう。
住まいづくりに「お箸」との付き合い方の考えを活かす
近年の技術は素晴らしいために、
という考え方、表現がとても多くなってきました。
どちらかと言えば、この表現はものに機能性をもたせて問題を解決する西洋的な考え方に該当します。
一方で、
という考え方は、日本的な考え方になります。
もちろん、ここで紹介した例が妥当かどうかは、家族構成や暮らし方によって大きくかわるので、一概に良し悪しを決めることはできません。
ところが、
ことで、改善できることもたくさんあるように思います。
また、住まいが汚れないようにするにはどうしたらいいのか?ということを考えることも重要です。
住まいが汚れないようにするためにコーティングをするというのが一般的な西洋的な考え方になりますが、日本的な考え方をすると、
汚れないまたは、汚れても元にもどるのは
どの様なものが自然の中にあるのだろう?
という視点をもつようにもしています。
貝殻は中身がなくなって年月が経っていると思われるものでも、とても綺麗なものが多いです。
こうした視点をもっておけば、身近にあるものの使い方を工夫することで、汚れにくい住まいを作ることもできるようになります。
私が設計をする場合には、お客様の話を聞きながら、日本的な発想をすることが非常に多いです。
見た目は西洋的であっても発想は、日本的な住まいというケースもたくさんあります。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございます。