3週間程前から、私はイヤホンが手放せない生活を余儀なくされています。
と言うのも、賃貸で入居しているマンションの修繕工事が始まったからです。
築13年におよぶ建物は、その間、雨風にさらされ、地震や台風をしのいできました。
その結果、相応の傷みを抱えています。
タイルがはがれ落ちた外壁に目を向けると、今このタイミングでの修繕工事に納得せざるを得ません。
4棟からなり、200世帯超の住人が集うマンションの修繕です。
当然、工事関係者の方々の人数も、資材の量も大規模なものとなります。
足場が組まれ、養生用の黒いメッシュシートにおおわれた姿は、まるで黒い要塞。
その間を行き交う多くの人と鉄のかたまり。
工事が本格化するにつれて、『これは耐え難い…』と感じさせるものが発生しました。
それが【音】です。
朝8時半から夕方5時半まで、止むことのない工事の音。
大規模修繕の名に相応しい、その迫力ある音をやり過ごすために、耳にイヤホンをつける毎日がやってきました。
しかし、イヤホンをしていてもなお、耳に届く固い金属がぶつかり合う音。
不規則なテンポで発生し続けるその音が、生活のリズムを狂わせていきます。
工事の音が止み、家族も寝静まったリビングで、じっくりと住まいと音について考えてみました。
自然の音が不自然になる瞬間
工事開始と同時に、イヤホンで何かリラックスできる音を聴こうと考えた私は、YouTubeを開きました。
- 小鳥のさえずり
- 川のせせらぎ
- 波の音
といった具合に、自然界に存在する癒しの音を求めて検索すること数分。
たどり着いたチャンネルをさっそく試していくと、リラックスとは程遠い結果に。
どれも工事の音を消してはくれませんでした。
自然の音を無理矢理引っ張ってきて大音量で流しても、それはもはや【自然の音】ではなく【不自然の音】となり、森や川や海からかけ離れた【音】になってしまったのです。
コーヒーの香りとゆったりとした音楽…
次に試したのが【カフェミュージック】です。
JAZZやボサノバといった音楽が流れる中で、ゆったりとコーヒーを口にする。
そんなイメージで、実際にコーヒーを準備してイヤホンを耳にしました。
結果はこれも大失敗。
重機の音をぬってもれ聞こえる、時に激しい口調でやりとりされる工事関係者の方々の声の方が勝っていました。
一日のタイムスケジュールを変えてみる
イヤホン作戦がことごとく失敗に終わった結果、私は方針を転換することにしました。
工事が行われている時間帯は、なるべく外に出ることにしたのです。
それまでは、8時半に娘を幼稚園に送り届けた後、残った家事を済ませてから、リビングのテーブルでパソコンを開いて文章を書く。
スマートフォンで写真を撮って加工する。
そんな作業をしていました。
それを、晴れていれば散歩がてらまだ歩いたことがない道を歩き、目に留まったものをカメラにおさめる。
思いついた単語や言い回しをメモする。
天気の悪い日は図書館やカフェに行って本を読む。
そして、落ちついて書きたい文章がある時は、今のように夜書くことにしました。
5歳の娘を寝かしつけた後の時間帯を、本を読んだりSNSに費やす時間から仕事の時間へシフトチェンジしたのです。
忘れていた楽しみを再発見する
タイムスケジュールを変えたことで、再発見したことがあります。
ひとつは「散歩の楽しみ」です。
転勤族のさだめで、引っ越しを繰り返す我が家。
引っ越し先を知るために始めた散歩は、新しく住み始めた街の魅力を教えてくれ、地元の輪に入る手助けをしてくれます。
しかし、ここ最近は散歩ができない日が続いていました。
再び散歩を始めてみると、やはりまだ知らなかった街の新しい魅力を発見できます。
また、人とのふれあいを与えてくれます。
散歩については、こちらにも書いています。

今回は特に【音】に注意しながら散歩してみました。
すると、住宅街でも緑が豊かな公園には、鳥のさえずりが、木を揺らす風の音が、池を泳ぐカモがあげる水しぶきが、耳に心地よく響きます。
YouTubeで聴くことはできなかった【自然の音】は、家を出てちょっと歩いた場所にあったのです。
私と同じように散歩を楽しんでいる様子の人から『おひさまが出ているとあったかいね。』などと言葉をかけられたのをきっかけに、しばしおしゃべり。
工事によって家を追い出された恰好の私は、忘れていた楽しみとの再会を果たしました。
理想の暮らしの音
さて、自分にとって心地よい音に囲まれた生活、心地よい住まいについて考えてみました。
現実は一旦脇へ置き、理想だけを並べてみます。
大自然に囲まれた家で、朝は日の出と共に目覚め、鳥のさえずりをBGMに深呼吸。
コーヒー豆を挽く音で起きてきた家族と朝食を共に。
家族を見送った後は、ひとりのんびり好きな音楽をかけながら家事と仕事を片付ける。
自然の音をペースメーカーに散歩し、自然の恵みで好きな料理を作って家族の帰りを待つ。
夏は遠くで打ち上げられる花火の音を聞きながら、冬は暖炉の中で燃えるまきの音を聞きながら夕食をとる。
そして、娘が練習するピアノの音に合わせた、鼻歌まじりのリラックスタイムを満喫して終わる一日。
現実の暮らしの音
一方現実はというと、しつこく鳴り続ける目覚まし時計の音で目覚め、あわただしく朝の準備。
なかなか起きてこない家族を叩き起こし、朝食を食べさせる。
家族を見送った後は、散歩に出る暇も、音楽をかける余裕もなく、家事と仕事をやっつける。
毎日何を作ろうか頭を悩ませながらスーパーで買い物をし、手早く夕食の準備。
娘を叱りつける声がご近所さんに聞こえないように、窓をキッチリ締めて過ごす夜の子育て格闘時間。
ほっと一息つき、静かに過ごしたい一日の終わりを、夫が観ているテレビの音に邪魔される毎日。
ああ、現実とはいかに理想とかけ離れているものなのか。
理想と現実のギャップを埋めるヒント
理想と現実のあまりのギャップに、ため息もでません。
ただ、こうしてふたつを並べ比べてみると、見えてくるものがあります。
マンションの大規模修繕工事によって余儀なくされた生活パターンの変化。
これによって現実の暮らしの中に理想の暮らしの【音】が入り込んできたのです。
それは、散歩中に出会った鳥のさえずりであり、木を揺らす風の音であり、池を泳ぐカモがあげる水しぶきの音です。
現実の暮らしでは見落とし、素通りしていた場所に理想の暮らしの【音】は存在していました。
言い換えれば、現実の暮らし中に理想の暮らしが隠れていたことに気が付いたのです。
家族の音があってこその理想の暮らし
大半の人にとって、家を購入するというのは人生で一番大きな買い物に違いありません。
洋服のように、買ってはみたけどやっぱり気に入らなかったから、違うものを買い直そうとは容易にできません。
慎重に探し、検討し、比較して購入される方が圧倒的に多いはずです。
我が家もこれから家を買う予定です。
家を探す場所はある程度決まっています。
そこは、私が理想と描いた自然に囲まれた環境とは、全く違います。
人工的なものに囲まれた、都会の森の中に住まうことになるでしょう。
都会での暮らしは、四方を山に囲まれた田舎で生まれ育った私にとって、ときに息苦しく感じます。
それでも、そこで生きていくしかありません。
思い描いた理想の暮らしには、共に生きる家族の存在が必要不可欠なのですから。
理想の暮らしに、もし【家族の音】がなかったら、自然の音も心地よくは響かないことでしょう。
完璧なんて始めから求める必要がない
今回、【音】に意識を向けることで、私は現実の生活の中に、理想の生活の一端が隠れていることを知りました。
これから本気で自分たちの家を探していくとき、このことを忘れずにいたいと思います。
たとえ完璧に希望通りの家を探しあてることができなくても、落ち込む必要はありません。
ちょっと角度を、視点を変えて見れば、また違った家の姿が見えてくる。
一歩家の外に出てみたら、知らなかった街の魅力に出会える。
そして何より、暮らしは止まらない。
ひとは歳を重ねていくし、街は常に変化していく。
それに合わせて、理想の暮らしの姿も変わっていかざるを得ない。
最初から完璧なんて求める必要はないのです。
あと何時間かしたら、また工事が始まります。
と同時に、私の理想の暮らし探しも再開します。