本当は誰だってありのままの自分を受け入れてもらいたい…そう願うことでしょう。
でも、さすがに子どものようにデパートでダダを捏ねるわけにはいきません。
人が成長すると言うのは、自分中心のものの見方から客観的に物事が見れるようになることだとも思っています。
ただ、それが行き過ぎると、周りの目線ばかりが気になり、「自分のことを受け入れられない」と感じる人も見られるのが現状です。
ですから、日常の生活の中で娘や自然から学んだエピソードをお伝えします。
何歳になってもありがままの自分を娘が認めてくれている?
毎朝、私が化粧をしていると、5歳になった娘が隣へやってきて一緒にやりたがります。
その度に
「子どもはお化粧なんかしなくても、かわいいからしなくてもいいんだよ。」
と言って聞かせます。
すると納得しない娘が
「ママだってお化粧しなくてもかわいいよ。なのになんでお化粧するの?」
と言って私の顔を見つめてくるのです。
シミ、しわ、たるみの老化現象てんこ盛りの私の顔をして「かわいい」と評してくれる娘の言葉に、私は考えさせられます。
歳を重ねた結果として顔に現れる老化現象の数々を化粧で隠すことに躍起になっている私と、素顔の母親を認めてくれている娘。
本来の姿を隠したり、飾り立てたりするよりもあるがままを受け入れる。
そんな、自然を尊ぶというものの見方を、子どもの娘の方が大人の私より持っているのように感じるのです。
不格好だからこその味わい
スーパーの野菜売り場に行くと、農家の方が直接野菜を持ち込んだ産直のコーナーを設けているお店が増えています。
また、採れたて新鮮な野菜を置いている道の駅なんかも数多くあります。
これらの産直や道の駅で売られている野菜は、かたちが不揃いだったり、ちょっと虫食いがあったり、土がついたままだったりと、きれいに袋詰めされて並べられた野菜と比べると不格好の感が否めません。
しかし、実際にそれらの野菜を食べてみると、とても美味しいものが多いのです。
イマイチだけど自然の甘味いっぱいのトマトや、外側の虫食いがある葉っぱを剥がしたら出てくる肉厚で柔らかい白菜、真っ黒な土で覆われた立派なゴボウなど。
ありのままに作られた豚汁
以前、立ち寄った道の駅でふるまわれていた豚汁を頂いたことがあります。
その美味しかったこと。
思わず「美味しい!」と感嘆の声を上げた私に、作った農家の方が
「野菜と肉から美味しい出汁がでるから、味付けは味噌だけだよ。」
と教えてくれました。
素材そのものの旨味を知っているからこそ作れる一品なんだなと感心させられました。
ありのままのきゅうりが美味しい!
また、こんなこともありました。
葉物野菜が苦手な娘が唯一食べる緑色の野菜がきゅうりです。
生のまま味噌やマヨネーズを付けて食べます。
また、浅漬けにして食べることも多々あります。
そんな娘がある日、いつもはパクパク食べるきゅうりを一口しか食べませんでした。
「どうしたの?大好きなきゅうり食べないの?」
すると娘はこう言ったのです。
「この前食べた曲がってるきゅうりを頂戴」
前回娘に出したきゅうりは、産直コーナーで見つけたきゅうりで、曲がっていました。
曲がっているというだけで他より安く売られていたそのきゅうりはみずみずしくて歯ごたえも良く、とても美味しいきゅうりでした。
そのきゅうりの味を娘は覚えていたのです。
本来の畑の姿を思い出して見ると…
私が子供の頃、祖父が畑で作っていた野菜はどれも形がバラバラでした。
小さいものもあれば大きいものもある。
細いものもあれば太いものもある。
畑から持って帰ってきたばかりの野菜はどれも土だらけ。
庭の水道で洗ってから頬張ったトマトやきゅうりの味を今でも忘れることはありません。
美味しかったな…とっても。
娘もきっときゅうりから何か感じるものがあったのかなぁ…なんて思うのです。
豚もきゅうりも畑もありのまま!だからありのままの自分に誇りを!
子どものありのまま過ぎるくらいストレートな世界
最近ひらがなを書けるようになってきた娘や娘のお友達の間では、お手紙交換が専らの流行りです。
毎日のように書いては保育園にもって行き、もらっては帰ってきます。
どの手紙も書いてあるのは一行か二行。
その中でも特に多いのが「〇〇ちゃん、大好きだよ。」というシンプルかつストレートな一文です。
まだ長い文章を書く力がないと言ってしまえばそれまでなのですが、そのシンプルな一文が彼女たちの嘘偽らざる気持ちなのだと思います。
「一緒に遊んでくれるから、同じアニメが好きだから、やさしくしてくれるから、好き」
なのではなく、
「その子のことがとにかく好き」
ありのままのその子が好きなのです。
一方、大人の世界はどうでしょうか。
- あの人は、やさしいから好き。
- 彼は、面白いから好き。
- 彼女は素直だから好き。
というように、好きな理由を並べるようになります。
もっと言えば、
- あの人は、お金持ちだから好き。
- 彼は、たくさん友達がいるから好き。
- 彼女は、若く美しいから好き。
というように、その人の人柄とは関係ないもので評価するようにもなります。
もしあなたが言われるならどちらがいいですか?
「いつも一生懸命で輝いている素敵な君が好きだよ。」と「そのままの君が好きだよ。」
私は「そのままの君が好きだよ。」と言ってもらいたいです。
なぜなら、頑張っていない自分も、ぐうたらな自分も、化粧もしない自分も、全部ひっくるめて好きでいてもらいたいからです。
娘が将来、自分の容姿や人間関係に悩み出したなら、
「そのままの、ありのままの自分に誇りを持ちなさい。」と言ってやれる親でありたいです。
ありのままだから?居心地のいい空気がうまい家
野菜にも人間にも共通して言える「表面ではなく中身をみることが大事」ということは住まいに関しても言えるのではないでしょうか。
私は住まいの専門家ではないので難しいこと、詳しいことは分かりません。
ですので、私が経験した居心地の良かった家と悪かった家のお話をしたいと思います。
以前、夫の友人宅に招かれた時のことです。
そこは新築の高層マンションで、確か25階建てくらいだったと思います。
高層階にあったそのお宅に入るとリビングからは遠くの山や近隣の高層ビル群を見ることが出来ました。
そして、部屋の中はとにかくキラキラ光っていました。
置いてあるダイニングテーブルから備え付けのリビング収納まで、新しい物の輝きに溢れていたです。
奥さんお手製の夕食をご馳走になって、そのマンションを出た瞬間、夫が言いました。
「なんか肩凝ったな。それにお腹空いた。」
実は私も同じことを感じていました。
そのご夫婦には何回か会ったことがあり、初対面ではありませんでした。
それなのに、全くリラックスすることが出来ず、せっかくのご馳走も味わえなかったのです。
それが何のせいなのかその時は分かりませんでした。
それから数年後、私は縁あって空気がうまい家におじゃまさせて頂く機会を得たのです。
初めて訪れた時、そのお宅の奥さん以外は初対面だったにもかかわらず、ほとんど緊張することもなくリラックスして過ごすことが出来ました。
更に、木のぬくもりを感じる気持ちの良いリビングで美味しいお料理を頂きました。
庭に作られた石窯で焼いたピザやパンケーキ、土鍋で炊かれたご飯で握られたおにぎり。
お腹いっぱいになった私はリビングの床に寝転がってウトウトしたい誘惑にどうにかこうにか耐えて過ごしました。
以前訪れた高層マンションのリビングは固く冷たかったことを思うと、なぜ居心地悪く過ごさざる得なかったのか、ということが今ならよく分かります。
空気がうまい家がなぜあんなにも居心地が良かったのか。
それは化粧を施していないからではないでしょうか。
自然からもたらされた素材を使って、極力人工的なものを排して作った家だからこそ、そこに住まう人も、また集い訪れる人も肩に力が入らず気持ちよく過ごすことが出来る。
そう思えてなりません。
私に「お化粧しなくてもかわいいよ。」と言ってくれる娘を連れて、またおじゃましたいです。
おいしい空気と、おいしいピザを頂きに。