あけましておめでとうございます。新たな年が始まりました。
私は、自分の実家と夫の実家の両方へ帰省してお正月休みを過ごしました。
両実家とも遠方にあるため、年に一回帰省するのが精一杯で、頻繁には帰ることはできません。
今年はいつもより長い日数帰ることができたため、それぞれの実家で、これまでは考えなかった事を考える機会を得ました。
そこで、今回は『実家とは何か』について私が感じたことをお話したいと思います。
古いマンションの狭い部屋に浮かぶ少年の姿
夫の実家は、夫が3歳の時に購入した埼玉県内のマンションです。
関西の大学へ進学するために家を出るまで、夫はその家で幼稚園から高校までを過ごしました。
築40年以上の古いマンション。
夫が使っていた狭い部屋には、彼の18歳までの思い出がつまっています。
少年野球にあけくれた小学生の、母親に反抗し始めた中学生の、ひじを痛めて野球を諦め、大学進学へと舵を切った高校生の姿が、残されています。
その家で過ごした15年間よりも、長い時間が既に流れました。
その間に夫は、社会人になり、自分の家族を持ち、父親になりました。
来年のお正月は来なくていいよ
夫の実家で過ごす最後の晩。義母が私たちに言いました。
「来年のお正月は帰ってこなくていいよ。それぞれの家でのんびり過ごそう。」
私は無理もないと納得しました。
私たち家族が帰ってくるまでに、義母は家を掃除し、来客用の布団を干し、おせち料理を用意。
70歳を超えた義母にとって重労働であったことは、想像に難くありません。
「そうだね、そうしよう。」と返事をした私の横で、夫は不満顔です。
しばらくすると、夫がぼそっと口にするのが聞こえました。
「でも、ここは俺のふるさとで、俺の実家だから…やっぱり来年も帰ってきたい。」
大きな体に似合わない、その小さな声が、逆に切実な本音のように感じ、私ははっとしました。
思い出のつまった、帰るべき家
夫にとって実家とは、自分が生まれ育った家・両親が住んでいる家というだけでなく、思い出のつまった、帰るべき家だったのです。
就職してから20年以上、日本各地を数年単位で転勤する生活を続けている夫にとって、自分が住んでいる場所は、いつも仮住まいで地元にはならないのでしょう。
5歳を娘の手をひいて
- ここがパパが通っていた小学校だよ。
- ここで、野球をやっていたんだよ。
と説明しながら歩く夫の胸に、どんな光景がよみがえり、何を思っているのか、私にはうかがい知ることはできません。ただ、義母になるべく負担をかけない方法で、今年の年末も帰省しようと、そっと自分の胸に誓いました。
思い出の品は置いてあるけど…
一方、私の実家は、私が大学進学を機に家を出るのと同時に、母が購入したマンションです。そのマンションは私が生まれ育った町から、車で1時間あまりの違う市に建っています。ですから、その家にも、その土地にも、私の生まれ育った歴史はありません。
もちろん、私が子どもだった頃の写真や、いくつかの思い出の品は置いてあります。でも、それはあくまでも思い出の物として、そこに仮置きされているだけなのです。
夫が実家の自分の部屋で見返す思い出とは、きっと違うもののはずなのです。
ゆっくりとくつろいでいるのに、調子が狂ってしまう
私のように、小さい子供を育てる女性にとって、実家はまさに安息の地です。
家事も育児も母が手伝ってくれるありがたい環境。
いつもは立っている時間が圧倒的に多い一日が、実家に帰った途端に、座ったり寝転んだりしている時間が多くなります。今回の帰省でも、私はこたつにもぐりこんで、ただただ何もしない時間を送りました。
しかし、実家で過ごす時間が長くなればなるほど、自分の調子が狂ってくるのです。
体は充分な休息を得て元気なはずなのに、どうにもだるくて仕方がない、そんな状態です。原因を考えてみると、ひとつの答えにたどり着きます。それは、『自分の家じゃないから』これに尽きます。
生まれ育ったわけでもない実家は、私にとってあくまでも母の家なのです。
母の家の中にあるものは、全て母のもので、母の使いやすいように配置されています。ですから、私には使い方が分からなかったり、使いづらいものが多く存在しています。自分の家では100パーセント自分本位で動けるのに、実家ではいちいち母に確認しなければ動けません。
その積み重ねが、私を疲れさせるのです。
きっと、そこが夫の実家のように、自分が生まれ育ち、自分が生活したことのある家なら、状況は違ったかもしれません。
母に会うために実家へ帰ろう
かくいう私もまた、夫とは違う理由で来年もまた実家へ帰省したいと思っています。母に会うために実家へ帰ります。
私にとって、実家とは自分が生まれ育った家でも思い出がつまった家でもなく、母が住んでいる、母に会いに帰る家なのです。
自分の家じゃないから勝手に動くことができない不自由さなど、母のこれまでの苦労に比べたら、きっと贅沢な悩みなのでしょう。
私が生まれ育った家は人手に渡りました。
ですから、夫のように実家で自分の思い出を反芻することはもうできません。
でも、それを悲しむ気持ちはありません。今、母が住んでいる家は私にとって母の家としての思い出が、娘にとっておばあちゃんの家としての思い出が積み重なっていくからです。
家のつながりが時代をつくる
夫の両親も私の母も高齢です。おのずと一緒に過ごせる時間は、残り少なくなっていきます。
せめて一年に一度は帰省し、孫の顔を見せるのが子供としての務めであろうかと思っています。
私たち夫婦が新しい家庭を築き、子供を育てているように、若き日の両親もまた、自分たちの家を作り、何年も守ってきました。
時代の流れがどんなに速くなろうとも、各世代をつなぐ家がなくなることはありません。私たちはいつもでも、親にとっては子どもで、子どもにとっては親なのです。
ただ願うのは、昭和を、平成を生き抜いたどの世代にとっても、より住みやすい時代になって欲しいということだけです。