きっと多くの人がそう思ったことは何度もあるはずです。
もちろん、私もそう思ったことは数えきれないほどあります。
そうは言うものの、海外の様子と日本の様子を比較すると日本の子ども達の道徳心は、世界的に観ても最高峰です。
例えば、
- ダイニングテーブルにお金を置いていても、子どもの友達が遊びに来ても取られることはない。
- 財布を落としても、中身を抜かれることなく帰ってくるケースが多い。
- 困っているお年寄りや外国の方がいると声をかける人が多い。
この様な例は探せばいくらでも見つかるくらい、道徳心が育っています。
実際に、アメリカに住んでいる子ども達に、「落とした財布が帰ってきたよ」なんて話をしたことがありますが、「信じられない…」という反応でした。
私たちも「財布を拾ったら届けるのが当たり前」という感覚になっていますが、その感覚はどこで培われるのだろう?と考えてみるのも面白いものです。
そこで、
ということを考えてみましょう。
結 論
どういうことか、私たちの暮らしを振り返りながら解説します。
便利グッズに囲まれた暮らしは超快適【人に物が合わせる暮らし】
日本は世界からも豊かな国と言われています。
とは言え、もっといい車が欲しい・広い家に住みたい…などいろんな欲求があるでしょう。
それでも、
- 各家庭にPCやタブレットがある
- 冷蔵庫・テレビ・エアコンがある
- 近くにはコンビニがある
という暮らしを多くの人はしているわけです。
確かに、こんな便利な物があるので、物凄く快適な日々を過ごすことができます。
ところが、身の回りの物が様々な機能をもっているのが当たり前になってきている様にも感じます。
例えば、最近の自動車には「運転アシスト機能(ADAS)」がついています。
ご存知の通り、ぶつかりそうになれば自動でブレーキがかかるような機能で、ドライバーとしては嬉しい限りのことです。
ところが、「アシストする機能でぶつからない事を保証するものではない!」と言った注意書きが書かれています。
そんな事は十分承知だという方も多いでしょうが、「アシスト機能がついているから大丈夫だろう」と認識する人が多いために、この注意書きがなされているのでしょう。
つまり、
という認識が強くなってきていることが分かります。
私はこの様な暮らし方を「人に物があわせる生活」と呼んでいて、優しさを育むには向いていないなぁと感じます。
その理由は、
- 物への期待感が強すぎる
- 期待通りでなかった時に物・機能の責任にしてしまう
こうなってしまうためです。
極端な表現をすれば、次の様になってしまいます。
せっかく新しく買った車なのに、全然アシストしてくれないじゃない!
だから壁にぶつかって、車が大きく凹んだのよ!どうしてくれるの?
申し訳ありません。ただ、機能はアシストするだけですから、絶対に当たらないってものではないのです。ご理解ください。
じゃあ、何のためのアシストよ!
アシスト設備のために私はいくら支払ったと思っているの?
こんな風になってしまうと、このやりとりからは、残念ながら優しさを感じることはできません。
物に人があわせる暮らしの中に優しさが生まれる
「物に人があわせる暮らし」と言うと、何のための物?という感じがするかもしれません。
ところが、
例を挙げてみましょう。
ガラス製の食器や陶器の器での暮らし
小さい子どもは、食器を落としてしまうことも多く、必ずと言っていいほど誰もが食器を壊してしまった経験があるはずです。
食器が壊れるというのは、とても残念なことですが、この経験がとても大切です。
- 自分が壊してしまったことで、お母さんが悲しそうにしていた。
- ガラスが割れた時には、危ない!と言ってみんながすぐに丁寧に片付けをした。
こうした風景を見て、丁寧に扱おうとする様になるものです。
プラスチックのコップからはこの様な気持ちは生まれません。
さらに、食器を使わない朝食を見て、ある子どもがこんな話をしていました。
朝ごはんを菓子パンにすると、食器すら使わなくていい。食べ終わったら袋を捨てるだけだから、親も楽なんだ。味気ない気はするけどね。
その子の家は、普段はきちんとした朝食をとっている家庭です。
だから、袋を捨てるだけの便利さと味気なさに気付くことができたのでしょう。
何らかの事情で、菓子パンの朝食になった時にそんな話をしてくれましたが、細かいことに気付く感性やちょっとした優しさ、寂しさの様なものが感じられます。
もし、菓子パン朝食が日常の当たり前の風景だとしたら、きっとこんな気付きはなかったでしょう。
暖機運転をしないといけない自動車・バイク
今の時代は「暖機運転」なんて言葉を聞くことは滅多にありません。
暖機運転をしないといけなかった頃の冬場は、出かける数分前にエンジンを掛けておく必要がありました。
今から思うととても不便ですが、こんな会話が日常的でした。
今日はよく冷えているから、エンジンかけておいてあげて。
少し車も暖めてあげないとね。
どことなく、物を人と同じ様に見る感覚がありました。
車やバイクに乗る人は、簡単にでもその仕組み・構造も学び、乗り物が快適に機能する様に人が物に合わせるようなことを行ったものです。
寒くてエンジンのかかりが悪い!と言って、自動車の販売店に怒りの電話をする人は少なかったことは想像できるのではないでしょうか。
障子のある暮らし
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最近では、障子のある家が随分少なくなってきましたが、障子があることで、子ども達は室内の遊び方を考えたものです。
特に障子を張り替えた後などは、走り回って遊ぶことにためらったことがある…という方も多いでしょう。
このちょっとした緊張感・物への気遣いが他の部分にも大きく影響してくるのです。
こうしていくつかの事例を見ても、素晴らしい物に囲まれすぎると「物にあわせる機会」が大きく減ってきたことに気付きます。
かと言って、今の時代に、暖機運転をしないといけない車も障子も少ないのが現状です。
だから、「何でも物に合わせる暮らしをすること」は実用的ではありません。
ですから、生活の一部に、「物に合わせて暮らす部分」を取り入れたいものです。
今日からでもできる子どもが優しく育つ「物にあわせる暮らし」
物にあわせる暮らしを考える時に重要な視点は3つあります。
- 値段(敢えて高価なものを使う)
- 不十分な機能(壊れてしまうものなど)
- 子どもの年齢とこれまでの経験
特に実生活で活用できそうな考え方が、「不十分な機能」という部分でしょう。
例えば、
- 花瓶・芸術作品を置く(子どもにとっては邪魔な存在)
- プラスチックの食器ではなく、陶器やガラスの食器を使う
些細なことですが、これだけでも室内の過ごし方が変わります。
我が家の場合は、家で元気よく遊ぶこともOKにしていますので、花瓶や芸術作品を置くことはあまりませんが、来客がある場合に活用しても、気遣っているなぁと感じることは多々あります。
また、建具はいいものを使っているので、乱暴な扉の開け閉めが行われることは滅多にありません。
「乱暴な開け閉めはダメだ」と教えた記憶もないので、きっと建具から気遣いを学んだのだと思います。
どんな建具(引き戸)を使っているのかは、引き戸の扉が重たい!をスッキリ解決する3つの方法の記事をご覧ください。
人の技術はどんどん凄く、素晴らしいものになってきましたから、ついつい「あれもこれも」と求めてしまいがちですが、住まい・暮らしを考える際には、敢えて減らすという視点も大切になります。
よく「いい加減にしなさい!」と叱られたことも思い出します。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。