当たり前と言えば、それまでですが、1月1日は新年。
そして、4月1日は新年度。
また、アメリカをはじめ、海外の多くの国は、9月が新年度。
海外に住んでいる子ども達と先日も話をしましたが、改めてこの「新年度」という制度はややこしく感じられます。
「日本では、新年度が始まったから、もし、日本に来たら何年生?」
「今は、5年生で9月になったら6年生になるんだけど…日本では、多分6年生なのかなぁ?」
こんな話になってしまいます。
1月1日は、世界中が同じように新年を迎えます。
それなら、新年度も世界統一で1月1日にしたら分かりやすいのではないでしょうか?
ふと、そんな事を思ったのですが、4月1日に新年度とする理由は、私たちの生活と深い関わりがあったのです。
新年度が4月1日とは限らない!
一般的には4月1日になると「さぁ、新年度だ!心新たに頑張ろう!」と言われます。
ところが、4月1日が新年度とは限りません。
会社の場合、会計年度が基準!
会社にお勤めの方は、十分にご承知かと思いますが、会社にも1年の始まりというものがあります。
良く「決算SALE!」とポスターなどが貼られますが、これは決算前に行われるもので、会社の1年の締めくくりの時期に行われます。
一年ごと(多くの会社の場合)に会社の財務状態を把握するために行われる処理の事。ただし、会社の場合は、自由に会計年度の始まりを決めることができる。そのため、決算時期も様々で、会計年度のスタートが必ずしも4月1日とは限らない。
近年は、海外にも事業の拠点をもつ会社も増えたり、海外の会社と取り引きする会社も増えたために、会計年度のスタートを1月1日にする会社も少しずつ増えてきています。
日本では、米穀年度というもの使われていた
日本の昔の産業の中心は、農業でした。
その中でも特にお米の生産量が多いために、お米の収穫に合わせて年度を捉える「米穀年度」という考え方もありました。
お米が収穫されて、新米として市場に出るのが11月。
そのため、11月からを新年度とする考え方もありました。
また、お米に限らず、「芋年度・麦年度・酒年度…」など様々な年度があります。
それぞれの会社の会計年度というものがありますから、それぞれの産物によって年度があるというのも十分納得できるのではないでしょうか。
欧米の国々が9月や10月を新年度にする理由
では、欧米の多くの国々が新年度を9月や10月とするのはなぜでしょうか。
実は、小麦の収穫と深い関係があるそうです。
- 小麦の収穫が夏に行われる
- 草が生い茂り、干し草の準備をするのが夏
ですから、この時期は、家族総出で仕事をする必要があったそうです。
そのため、この時期は、学校なども休みにして、大変な農作業が終わった秋からを新年度と考えるようになったのです。
なぜ、日本は一般的に4月1日が新年度と言われるのでしょうか?
「年度」というものについて考えてみると、一般的に4月1日が「新年度」とされたのも、私たちの生活や農作物と深い関係がありそうだと考えられます。
先にも触れた様に、私たちはお米と共に生活をしてきました。
百万石(ひゃくまんごく)の大名などと言われる通り、お米で経済状態を表していた時期もあったほどです。
その後、「お金」が用いられる様になり、「お米」が収穫されたのちに「お金」になり、税として国に収められたのちに、国家予算が決めるとなると、新年度は4月になると言われています。
また、地域によって多少の違いはありますが、もみ撒きをするのも4月ですから、4月を新年度のスタートとして捉えても違和感がなかったのだと考えることもできます。
この辺りの説については、確かな根拠となるものがないそうですが、国の赤字会計をなんとかするために会計年度時期をずらしたという話もある様です。
興味のあるかたは、こちらの記事も読んでみてください。
また、こうした国家の予算編成に伴い、学校も4月1日に新年度という制度が決められたので、国民全員が新年度は4月1日という意識が高まったと思います。
近年では、季節に関係なく様々な種類の野菜・果物を食べることができるようになりました。
エアコンも整備され、暑い夏も寒い冬も快適に過ごすできる場が増えてきました。
これらの変化は、素晴らしいことでもありますが、4月を節目として認識しにくくなってきたのは確かです。
ただ、私たちの祖先は、何百年もの間、このサイクルをにあわせて生活をしてきたということは、忘れてはいけない気がします。
これからも残していくものと、変えていくもの
いろいろと「新年度」というものについて書いてみましたが、これを知ったからと言って、何か特別良いことがあるわけでもありません。
けれど、「新年度」という考え方の中にも、少しずつ変化してきている部分と、守られ続けている部分があることに気づかされます。
私たちの生活は、刻々と変化していきます。
今、日本が夜だとすると、真昼間のアメリカの様子を知ろうと思えば知れる時代になりました。
100年前にそんな事が当たり前になるとは、誰も想像しなかったくらいに生活は変化しました。
それでも、ずっと変わらないものもある様に思います。
例えば、着物。
京都に居ると着物姿の方を良く見かけます。
100年以上も前から日本で当たり前の様に使われていた着物ですが、「古くさい」なんてことは一切感じません。
着物を着ている方を見ると、むしろ格好良くて、粋だなぁ…と感じるほどです。
他にも、お米を食べる文化とか、畳を使う文化など、ずっと変わらないものもたくさんあります。
どれだけ生活が変化しても、「変わらないもの」には、何かこれからも私たちが守って行かなくてはならないものが隠されている様に思います。
また明日も、駅まで歩きながら、ずっと変わらないものは何か探してみたいと思います。